緋忍伝-呀宇種(ガウス)

第一回「呀宇種(がうす)の巫女」
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 構 成: たかおかよしお
 脚 本: 神原正夫
奥州のとある森。普段は人の立ち入りが制限された中に、滝壺を備えた池があった。
しかし今宵は、滝の水の落ちる音の他に、誰かが水浴びをするような音が響いていた。
満月に照らし出され、水面に映るその水音の主は女性のようであり、その姿は神聖な森の雰囲気と相まって、より神秘的な光景を形作っていた。

周りには動物さえもいないようで、降り注ぐ月明かりに惜しげもなく裸体を晒している。
長く透きとおるように光る髪が、整った顔立ちの目鼻を見え隠れさせている。
張りも弾力も充分そうな乳房に、ツンと上を向いた乳首。首筋から肩、そして背中から太股にかけてもなだらかな曲線をえがいており、お尻もきゅっと引き締まっている。
大人として熟れているようでもなく、かといって未熟とも言えぬ絶妙な年頃である事と、程良い運動が作り出した、無駄なものなど一切付いていない美しい姿が、暗い水面にもはっきりと映し出されていた。

夜だが寒くもなく心地の良い冷たさだった。
徐々に深みへと進み、やがて腰骨の辺りまで水に浸かると、静かに両手で水をすくい上げ、上体にもかけはじめる。
少女を中心として波紋が広がり、満月の映った水面を揺らす。
健康的な肌に水がかかり、玉になって滑り落ちていく。その水滴の通ったラインは、より微妙な立体感を浮かび上がらせている。
そよ風に揺れていた髪も、しっとりとした重さを感じるようになり、濡れた光を発するようになっていた。
何度か身体に水をかけ終わると、今度はその身を水に沈めはじめた。
肩まで浸かった後、両手で水をかき分けたり、手を出して飛沫を飛ばしてみる。飛んだ水滴の全てが月明かりに照らされて美しい。
少女は贅沢な気分で、すべらかな水の感覚と、清らかな光の感覚を楽しんでいるようだった。
相変わらずゆらゆらと水面に月の姿が揺れている。見上げると、薄雲が徐々に月へと近づいていくところだった。
少女は水と遊ぶのを止めて、上半身を起こして両手を合わせる。そして目を閉じ、月に向かって静かに祈りを捧げる。

彼女の名は紅蘭麻(くらま)と言った。この奥州が太守、月影隆盛(つきかげたかもり)の一人娘である。
今日は紅蘭麻の十八才の誕生日で、月影家の姫はその年になると、ここで水浴みをする習わしがあった。
それは月影家の始祖に関わる言い伝えに由来する。

―――その昔、名もなき漁師がいた。
その生活は貧しいものだったが、いつか武士として出世し、やがて自分の領地を得ようという野心をもっていた。
ある日漁師は不思議な羽衣を拾う。すると、すぐにその後知り合った女を妻に迎える事が出来た。
やがて思わぬ偶然から、近隣の領主の館へ奉公する事になる。
その後も幾たびかの幸運が漁師に訪れ、あれよという間に頭角を現し、遂にはこの辺りを治める豪族にまでなった。
それが今の月影家である。
今では、漁師が拾った羽衣は天女のものであり、妻とした女が天女だと伝えられている。つまり月影家は、漁師と天女の末裔であると言えよう。

この水浴みも、その言い伝えになぞらえた儀式だった。以後月影家に姫が生まれた場合は、必ず行われなければならないという。
だが月影家で過去に姫が産まれたのは、たった一度だけであった。その姫は、華虞夜(かぐや)と名付けられたが、早逝して詳細な記録は残されていない。
残っているのは、この儀式をその姫も行った。とだけ。
儀式の意図や目的については、謎のままであった。
―――


慶長元年。
長きに渡った戦乱の世は一応の平定をみたかのようであったが、いまだその根は断たれたとは言い難く、そこかしこで戦禍の残り火が燻り続けていた。しかし、ここ奥州は太守の月影隆盛(つきかげたかもり)が比較的穏和な性質であることも影響し、太平に浮かぶ小島の如く、いたって平穏であった。

祈りながらも紅蘭麻は、父親との会話を思い出していた。

そのときはまだ西日が差し、月影家の居城も夕闇の中にあった。
「お呼びにより、参りましてございます」
紅蘭麻は館の奥深くの一室に赴き、外から声をかけた。
「……うむ、中へ」
返事の後、戸を開け中に入る。
灯明がたかれたその部屋には、既に一つの影が壁に映っていた。この館の主である月影隆盛である。
隆盛は自分の娘の姿をちらりと見ると、少し眉間を変化させた。その出で立ちに驚いたのだろう。
だが小規模ながら奥州の一角を治める領主である。さすがに威厳は損なわせずに、逞しい胸板の前に太い腕を組んだままだった。
少なくとも紅蘭麻の目にはそう見えたが、父の表情は険しいままであり、灯明が揺れ動く事によって、よりいっそう複雑な陰影を作りだしていた。

紅蘭麻が部屋に呼ばれてから、隆盛は無言のままであった。
彼女は幼い頃から聞かされていたので、この日に儀式を行う事はわかっていた。そのために、既に白衣を着て父親の前に現れたのだ。
ただいつになく父の真剣な眼差しに、こちらから声を掛ける事が出来なかった。
見れば父の顔には、いつの間にか皺が増えていた。組んだ腕には、戦での傷跡が幾つか消えずに残っている。
「……父上……」
重苦しい雰囲気を壊すように、紅蘭麻が声を出した。そして言葉を続けようとしたときに、隆盛がゆっくりと口を開いた。
「いよいよ今宵は儀式の晩。姫よ、そなたは我が月影家の宿命を背負わねばならぬ」
「はい」
静かに頭を垂れる紅蘭麻。
隆盛は、紅蘭麻ただ一人を産んだ妻を早くに亡くしてから、一人の側室も、また後添えをも取らなかった。男手一つで育てた姫を見て、しばらく感慨にふけっていたようだ。
(よもや、自分の代に姫を授かるとは……)
父は誰にともなくそのように呟いた。
紅蘭麻は、華虞夜から数えて、六代ぶりに生まれた姫であった。


祈りを解き、目を開ける紅蘭麻。
先ほどの月とは違い、薄雲に隠されていた。ぼんやりと輪郭だけが雲に透けて見える。
確かに以前から、満月に惹かれるような意識はあった。
この日は儀式という事もあって気持ちを改め、特に強い祈りを捧げていたが、それでもいつもよりは神秘的に感じていた程度だった。
言い伝えも何度となく聞かされていたが、それが現実にあったことだとは到底信じられない。儀式といっても、夜に水浴びして祈る事以外はわからない。
これ以上の事が、代々受け継がれてきた文献にも記されていないのだからしょうがない。
ただ待つ事。
とはいうが、ずっと水に浸かっているのも、身体を悪くするかもしれない。
水浴びにも飽きて、そろそろ水から上がろうかと思ったころだった。

ゴボッと水泡が湧き上がる音がした。
「はっ!?」
紅蘭麻が気付いたとき、さらに何かがパシッと水面を跳ねる音がした。

この気配は!?
紅蘭麻はザブザブと水をかき分けながら、衣服を置いたところに向かいはじめた。
月は雲に隠れてはいたが、脱いだ白衣そのものが目印になり迷う事はない。
このまま水の中にいては、どんな事があっても思うように対処できないし、しかも今は、この身に何もまとっていないのだ。
今はその若い肉体を隠す事を意識せず、紅蘭麻は思い切り走った。
いくら領主の大事な一人姫と言っても、武家の者であり、草深い奥州で育っている。もちろん幾人かの父の部下や、忍びの者たちにはかなわないが、ある程度は鍛練を積んでおり、すぐに息切れするような事はない。
また着衣のままで水に入っていたら、思うように動く事がかなわなかったが、裸であったために、素早く移動する事が出来た。
だが先ほどの水音の主からは、襲ってくるような素振りさえも感じることはなかった。ただ覗いていただけのような……、しかしそれは敵の策略かもしれない。
夜中とはいえ儀式のために、月影の手勢が森を遠巻きにして護っているはずだ。
それら兵達に気付かれる事なく、ここまで入りこんだものだ。油断は出来ない。

水草の生えた浅瀬を抜けて池から上がり、衣服をかけた木まで辿り着く。
「何者か!」
衣服に隠していた短刀を素早く構える。
「ちょっ……、待って下せえ巫女さぁ!」
紅蘭麻の剣幕とは意に反して、気の抜けたような声が帰ってくる。
「何!?」
ペシャペシャと水をかき分け、また水草をカサカサと揺らしながら、何者かが近付いてくる。
「ケケケ……」
続いて得体の知れない者の鳴き声がするので、警戒を深めて短刀を構える。
「ここは月影家所有の神聖不可侵の血。それを知っての行状か!」
「へいへい、わかっておりやす! 月影の姫様」
すると思っていたところより、ずっと低い位置から声が帰ってくる。しかもなんだか陽気な受け応えだった。
「いや、巫女様。だからあっしが来たんでさぁ!」
「巫女? なにを申しておる。その姿を見せよ!」
そのときガサッと水草の間から、およそ予想のつかなかったモノが現れた。
「ケケケ……。ようやくお会いできやしたのぉ。呀宇種(ガウス)の巫女殿よ」
それは紅蘭麻の腰の丈にも満たない、背の低い生き物だった。
「そ、そなたは……、なんなのじゃ!?」
短刀を構えた腕が下がりそうになるのを、慌てて構え直す。
人とはかけ離れた姿とは反対に、流暢に人の言葉を操っている。だが、その発する笑い声だけは獣のようだ。
「呀宇種の巫女、よくぞおいで下さいました」
「呀宇種の……巫女……!?」
「そうですじゃ。ケケケ……」
「そのような名前ではない、わたくしは……」
「月影の姫君、紅蘭麻様でありましょ?」
「え、ええ……」
紅蘭麻は警戒することも忘れて、伝え聞いた事のある妖怪の姿を思い浮かべていた。目の前にいるのは、まさにそのような生き物だったからである。
「そ、そなた……か、河童か?」
「河童だって! 巫女様そりゃひでえや! あっしは水の精霊、オガルってもんでさぁ」
「精霊? オガル?」
「そうでっせ」
河童という言葉に過敏に反応して、精霊と言い張るその生き物は、飛び跳ねたりちょこちょこ動きながら、身振り手振りで話しをする。しかし、どう見てもその姿は河童であり、それが話す姿は妙におかしかったので、紅蘭麻はすっかり警戒を解いてしまった。
「あっしは、この時を……姫が十八になるのを、ここでずっと待っておりやしたんで」
「待っていた……?」
「へいっ! あっしは巫女様を、紅蘭麻様を守護する宿命を持っているんでさぁ」
「はぁ……、あ、ちょっとまって?」
「なんです紅蘭麻様、いや呀宇種の巫女様。さっそく命令ですかい? 何なりとお申し付け下さい」
そういってオガルと名乗る精霊は、紅蘭麻に向かって恭しく礼をする。
小さな姿でそんな仰々しい事をするので、とても滑稽に見える。
「ええあの、もっとちゃんと詳しく説明してもらえないかしら、その……」
「オガルでっせ巫女様。ケケケ……」
「……オガル、ね?」
「う~ん……、そうですなあっしが説明するより……」
オガルは大げさな素振りで考え込む。すると天に指を差して、月を見つめるよう紅蘭麻に言った。
「巫女さま、あの月にお尋ねくだせぇ」
「月?」
呀宇種や巫女やら、訳がわからないままだったが、紅蘭麻はオガルの指さす先に顔を向ける。
「ぁ……」
そこには、薄雲から再び姿を現した満月が浮かんでいた。だが水浴びのときに見たよりずっと明るく、吸い込まれるような衝撃を感じた。
その光は暖かく、そして優しく、身体の全てを包み込むような感覚であった。
「つ、月が……ぁ、光り……くっ!」
「巫女様、心配するでねえよ……」
このときのオガルの声は、既に紅蘭麻の耳には届いていなかった。
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